在庫管理ってどっちかって言うと肉体労働で頭使うことないでしょ?って聞かれます。
確かに、どちらかというと肉体労働ですがメチャメチャ頭と気を使います。
自分の中では、リアル版テトリスと思っている倉庫作業のお仕事。
大学卒業して初めて就いたのが、兵庫県の片田舎にある製造業。
就職氷河期に出会った片田舎の製造業に就職した
時は、就職大氷河期時代。
正直、大学の成績も下の下で、単位も危うい状態。
エントリーシートに書けるほど、何かやったか?と言われれば、何かを成し得た記憶もない。
ただただ、毎日大学を素通りして播磨の野池に通っていた私は、就活もそこそこに「まぁ何とかなるやろ」って毎日。
そんな僕が、神戸市が主催した就職合同説明会に行ったのが、そもそもの始まり。
地元の人気企業には人だかりが出来ていて、皆そっちの方へ流れている。どちらかというと、あまのじゃくな僕は、ガラッガラのブース巡り。
そこで出会ったのが、1社目の金物製造業。
強面のおっさん(実は部長)が座っているから、誰も近づかない。
空いててラッキーとばかりに座ったら、おっさん喜んでくれて色々説明を始める。
兵庫県の三木市に製造と物流拠点を持っており県内ではまぁまぁな規模。
「仕事終わりに、川や池で釣りできるな」ぐらいの温度で、その後一切就職活動は行わず、この企業に入社することに。
与えられたミッションは5人のパートさんの管理
新卒で、右も左も分からない僕たちが配属されたのは、親睦会でお世話になった物流センター。
当時は、本当に周りに何もなく(現在はネスタリゾート神戸がある)、田んぼと用水路みたいな環境。
研修を終えて僕が配属されたのは物流2課。
4人の社員と係長が1人、パートさんが20名在籍している大所帯だった。
僕はまず主任さんに付いて仕事を覚えることに。
彼が最初に放った言葉は今でも覚えてて
「仕事はそこそこでいい。まずは、20人いるパートさんに顔と名前を覚えてもらえ!」
なんやそりゃ?って思いつつ、朝から晩までパートさんに仕事を教えてもらう日々。
納入物の整理整頓、ピッキング、出荷、何から何までパートさんから教えてもらったな。
倉庫作業の基本は
- 入荷して
- ピッキングして
- 出荷するだけ
何も難しいことないし、在庫の管理もFIFO(先入れ先出し)になるように配置すれば、効率よくピッキングできる。
いかに効率よく仕事の段取りをすればよいのかをみっちり叩き込まれた感じ。
3か月経とうとしていたある日、「君に担当を与えよう!」と言われ、5人のパートさんを任されることに。
初めての5人の部下とのんびりお仕事
そこでのお仕事は、本当にのんびり。
基本、5人のパートさんがメチャメチャ動いてくれるから、自分の出る幕はない。
というか、「あんたは司令塔やから、私達が効率よく動けるように指示してればいい」と言われていた。
如何に気持ちよく仕事して、定時で帰ってもらうかが与えられたミッション。だからといってサボるわけにも行かず、僕はガムシャラに働くしかなかった。
3時のお茶タイムに勇気を出して、パートさん達の輪に入ってみた。
「私の息子と同じ年代やね」って可愛がられたし、「斎藤君、このお菓子一緒に食べよ」って誘ってくれるようになった。
もちろん、5人のパートさんと僕の団結力は日を増すごとに、強大になっていく。
新人君やのに、メッチャやる気がある子って、ふれ回ってくれて5人だけじゃなくそのフロアにいる20人のパートさん達からも、可愛がられるようになってしまった。
倉庫作業員として働いて感じたギャップ
この会社でもらえた年収は、300万円弱。
まぁ、新卒だし、いくら年収をもらえば、勝ち組なのか負け組なのかも分かっていなかった時代。
それに、独身だったから貰った給料は全て、遊びに費やしていたような時代。今じゃ考えられないけど、手取り額 = お小遣い って世界。
ただ、職場全体的に基本給が低かったから、ワザと残業をする社風。
8時30分から17時30分までダラダラと仕事して、18時の時間外から22時ぐらいまで猛烈に働き始める。
ホームセンターの新装開店が入れば、日をまたぐこともしばしば。
流石に金曜日は定時終わりが基本だったけど、月40時間から60時間は当たり前に残業。
ただ、辛かったという記憶が全くない。部活の延長みたいなノリで残業するもんだから、肉体的に疲れてても精神的には楽だった。
その上、手を抜くという行為を知らなかった僕は、どんどん仕事を任されるようになっていく。それをよく思わなかったのが、同期達。
自分だけ出世して同期達に恨まれ辛くなる
同期で3人入ったんだけど、残り2人はどちらかというと
人が見ていないところでメチャメチャサボるタイプ
八方美人で、パートさん達にニコニコしているけど、裏ではタバコ吸いながらサボってる
一方の僕は、定時でパートさん達を帰さないとという使命に燃えてたから、必死のパッチで段取りしてピッキング検品・出荷。
「後は僕がやっとくから、皆さんは帰ってください」と背中を見せる毎日。
見ていないところで必死になっている僕と、見てないところでサボるわタバコ休憩に行きまくる同期。
この差は歴然で、2年も経てば僕だけが副主任になっていた。
仕事をガンガンするグループの先輩たちにも気に入られて、週末は梅田に繰り出したり、家族ぐるみで旅行したりと
仕事はキツいが、やればやるほど斎藤ファンが集まって、結束して何故か楽になっていくという無限ループに陥って
「ああ、こんなフレンドリーな人達となら、楽でいいわ」って思ってた。
でも結局は人間関係。
同期達が僕を疎み始めてたって気付けなかった。
同期達の強い恨みそして破壊活動
こんなことをいうと、「お前。ナルシストじゃないのか?」って言われそうだけど、2年も経てば2階のパートさんだけじゃなく、他の階にいるパートさんとも親密になってお茶してた。
当然、「何で、お前が俺の(配下の)パートさんと3時のおやつしてるねん?」って、他のフロア担当の同期が怒り狂う。
「いや、でも僕が誘ったわけじゃないし」みたいな態度を取るもんだから、ますますいきり立つ。
パートさんも「私達の勝手やん!誰とお茶しようが!!」ってキレ始める。
行き場のない怒りを、僕やパートさんに向けられない同期達が取った行動。
それは、出荷する商品の破壊工作。
(監視カメラに犯行が映ってるから)
「幼稚ぃなぁ」って最初は思ってたんだけど、どんどん巧妙化して、キリでパッケージに傷を付けたり、監視カメラのないプラットフォームで、バキバキになるまで足で踏みつけたりで、ホームセンターに入荷された商品が破損しまくってるもんだから、僕にクレームの嵐。
フロア担当の係長さんと、ホームセンターに平謝りにいく日々。
そのうち、元自衛官の営業課長も同行するようになって3人で平謝り。
「お前のせいちゃうって」って皆さん慰めてくれてたけど、僕の心はもうズタズタでした。
オバちゃん達の逆襲そして退職
監視カメラが見ていなくっても、50人いるパートのオバちゃん達の100の目は、犯行を目撃していました。
女性特有の告げ口。
フロア担当の係長に言うのではなく、部長とか専務とか社長とかに告げ口。
いやいや、社長はマズいでしょ…。
「自社商品を傷つけるような社員は、いらんのとちゃう?」って、みんながみんな僕をかばってくれたわけ。
嬉しかったし、涙が出た。
同期達は行き場を失って、結局、営業部門に回されてしまったけど。
「当然の報いや!!」って、パートのオバちゃん達が励ましてくれたけど僕の心はもうズタズタで、それどころじゃなかったんよ。
倉庫作業はパートさんとの相性まとめ
最後に要点をまとめておきます。
職種:倉庫作業員
手段:新卒で入社
年収:300万円
区分:精神的に楽
総合:
年収:
自由:
簡単:
私の体験談はいかがでしたでしょうか?
新卒で、ガムシャラに働くしかなかった僕ですが
職場マネジメントができず、同僚たちの激しい恨みつらみを買ってしまいました。
結局、僕は2年半の物流センター勤務を経て退職。
理由は、やはり同期達に疎まれたこと、直属の上司に裏切られて居づらくなって色々積み重なったものが爆発した形。
次の職場では、仕事ができない斎藤君を演じてみようと、心に決めたのは言うまでもない。
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