肉体的に楽な仕事

空いた時間は構内で野球の練習?管理人が経験して楽すぎたお仕事編

これだけアウトソーシングがメジャーになった現在においても、「アウトソーシングと、派遣社員の違いが分からない」という人は多いのではないでしょうか?

偽装請負なんて言葉は、新聞やテレビで報道されはするものの、そもそも関わった人間でしか分かり得ないし、興味がないと考えています。

私自身、20代最後の転職で、当時はまだ珍しかったアウトソーシングのベンチャー企業に入社。

諦めかけていた年末に仕事が決まる

2社目を退職した僕を待っていたのは、今度こそ本当に転職先が見つからないという苦難。

それもそのはず、1社目を2年6か月と、2社目を1年6か月で辞めた僕は

どこからどう見ても、中途半端な人間

こんな僕を採用してくれる企業なんて、どこにもありません。

前回もらい損ねた、失業手当金をフルで貰えたのは確かに嬉しかった。

でも、それ以上に、履歴書類を送れども送れども面接にたどり着かない日々。

稀に「面接に来てください。」とお呼びがかかるも、どこもブラックっぽい企業ばかり。

「年末は無職かぁ」なんて諦めかけていたある日のこと。

地元情報誌のAidemに派遣社員募集の記事。

足掛け程度にしか考えていなかったが、貯金も底をつきかけていたので、募集することに。

僕は運がいいのか、書類を送った次の日に「面接に来てください」との電話連絡が入った。

12月の20日頃だったと記憶している。

地元の商工会議所に行くと、そこには関東から進出してきたというベンチャー企業の社長と営業が座っていた。

てっきり派遣社員としての募集だと思っていたら

「実は、業務委託現場を仕切るSVを探していた。あなたはシステム運用も出来るからピッタリな人物像だ」

と言われてしまった。

棚から牡丹餅とはこのことだろうか?

嫌々就いた、システム運用職1年6か月という職歴が役に立ってしまったのだ。

「(業務委託)現場の立ち上げが1月15日なので、それまでも手伝って欲しい。」と言われ急ではあったものの、入社することに。

某大手航空機メーカーの倉庫を任される

年末の慌ただしい時期に、僕はとある工場の前で呆然としていた。

そう、そこは地元では有名な航空機機器メーカー。

まさか、自分がこの門をくぐることになるとは、思いもしなかった。

というぐらい地元では大きな製造業。

早速、入門手続きを済ませて現場へと向かう。

総務担当の方と名刺交換をし、ロジスティックス(物流)部の部長さんとご挨拶。

物流部といっても、僕が今までいたような物流部門ではなく、甲子園球場が一個分入るぐらいの広大な敷地。

ここを全部任せるというのだ。

正直、自分には荷が重すぎる、辞退しようと思っていたら、

物流部の部長さんから

「他の会社の物流部門が、どのよう機能しているのか分からない。だから今までの経験を生かして、色々と改善していってほしい」

とお願いされてしまった。

僕の面接を担当した営業からも、「今のところ、君の代わりとなる候補者はいない」と言われ、取り敢えず承諾することに。

年明けに業務委託部門オープン

1月15日に現場に入り、アシスタントの契約社員の男の子と現場を切り盛りする運びとなった。

3か月ほどは元々担当していた正社員から、引継ぎを受けることに。

敷地面積は広大だったが、倉庫業務は倉庫業務。

やることと言ったら

  • 部材を入荷して
  • 管理して、各部門に払い出し
  • 製品が工場から上がってきたら出荷

ただ、これだけ。

管理している部材も今までに見たこともないぐらい、デカイから置き場所に困る。

メイン倉庫だけでは置ききれないから、色んな場所に点在している。

部材1つを取りに行くにも、一苦労。

エンジン式のフォークリフトでの移動がメインとなった。

元担当者曰く、「一か所に管理していると、(災害など)何かあったとき対応しきれない」

つまりリスクヘッジってわけだ。

業務委託SVとして勤務して感じたギャップ

基本、業務委託なので、ロジスティック部門からの命令はできないし、来ない。

業務委託とは、アウトソーシングあるいは外部委託とも呼ばれる。

従来は組織内部で行っていたプロセスを、独立した外部組織からサービスを購入する契約である。

対義語は、インソーシング。

Wikipediaより引用

だから、部材を入荷して、仕掛品を払い出し、製品を出荷する以外は完全にフリー。

全社的に、SAPという業務基幹ソフトを使っていたが、うちは業務委託を受けているのでネット関係は別回線。

まだインターネットがそれほど発達していない時代だったけど、ネットに繋いでゲームし放題。

それも2か月ほどで飽きて、僕は自宅からラジコンカーを持ってきて走らせてた。

その頃、少し忙しくなったので、もう一人契約社員の男の子が入社。

僕は事務所で寛ぎモードで、若いの2人は野球やサッカーして遊んでた。

もちろん、部材がない空の倉庫でだ。

こんなに暇で、お給料もらえていいのか?って思ってしまったが、管理職扱いなので残業や休日出勤手当は出なかった。

もらえた年収は300万円。

ここまで楽だと、この年収が、安いのか高いのか分からない状態になっていたよ。

業務委託SVとして勤務する辛さと重圧

完全放置プレーで、少し仕事しては遊びまくる僕たち3人。

そこに対してとやかく言われたことは一度もなかったけれど、僕には年間予算というものが、ロジステックス部門から突き付けられていた。

人件費はもちろんのこと、光熱費や通信費、棚卸資産の廃棄費用まで、ありとあらゆる製造原価の年間予算が決められていて

この数値を死守するようにと言われた。

僕は、SVという職が、管理職というものがどういう職なのか分からず、このポジションに立ってしまったけれど、

予算というものに対しては、とにかくシビアだった。

当時は、アウトソーシングを掲げるベンチャー企業が群雄割拠していた時代。

少し予算をオーバーしたものなら、「○○って業者なら、月10万円安く運用できると言っている」と言って脅された。

ようは、この調子で予算をオーバーするのなら、別の業者を入れるというのだ。

普段はフレンドリーで、外注の僕たちを差別するようなことは絶対にしない、ロジステックス部の人達も、

ひとたび予算の話になると、人が変わったような素振りを見せる。

その度に「僕らはこの人達の身内ではないだな」と我に返る。

工場が買収されるという噂を耳にし退職

ちょうど、2年3か月ほど働いていたある日。

下請け業者合同の親睦会で、僕はとある噂を耳にしてしまった。

「本体が外資に狙われている、買収されるかもしれない。

だから我々も逃げる準備をしておくべきだ」

寝耳に水。

まさか、こんなに巨大企業を買収できる外資が存在するのか?と疑心暗鬼に陥った。

念のため、製造部の方で親身にしてお付き合いいただいている社員さんに、それとなく聞いてみる。

「うん、そういう動きは確かにあるね。我々も考えておかねばならない」と。

もう30代を目前に控えていたし、このまま最後まで運命を共にすべきか、あるいは転職が厳しくなる前に、逃げるべきかガチで考えた。

それよりも考えてしまったのは、年収だ。

300万円から多少昇給していたものの、一生こんな額では家庭も持てない。

一生、ブルーカラー。

一生、雇われ。

一生、負け組。

ネガティブな思考に取付かれてしまった僕は、1か月後退職を決意

空いた時間は構内で野球した倉庫請負業まとめ

当時の僕は、弱かったんだろうね。

その後、4年ほど工場は操業していたらしいが、ふとしたキッカケで彼ら運命を垣間見ることになる。

東北大震災復興の番組に、「散り散りになった仲間たちと共に、鎮魂の意を表する」と元社員がテレビに出ていたのだ。

しかもマレーシアからの中継。

昔を懐かしく思い、当時工場があった場所に行ってみると、もう何も残っていなかった。

若かったとはいえ、あの時逃げたのは正解だったと思っている。

精神的に疲弊してうつ病になったら悲惨ですよ

僕が煩わしい現代社会から解放されて、心も体もリフレッシュできたわけ

 

詳細ページ公式ページ